生命保険金の目安はお葬式やお墓代? 墓は不要ですよ。死んだら千の風かコスモゾーンになるので墓に入っている暇はありません

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保険の考え方
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シデです。

生命保険の保険金設定の目安として、お葬式代とかお墓代とかをまかなえるようにするという考え方があります。

ピンキリでしょうが、相場は300万円くらいでしょうか。

それって必要なのかしら、という疑問に対して自分なりの答えをまとめた記事となります。

ここでは、子供を持つ親が子供のために準備する養育、教育費としての保険金額を除外して考えています。

お墓参りの意味

小さいころはよく親に連れられ、お墓参りに行っていました。

お墓参り自体はそんなに楽しくありませんでしたが、お墓の近くに住み、お墓を管理している祖父母に会うことを非常に楽しみにしていました。

お小遣いをもらったり、遊んでもらったり、見たこともないおやつをもらったり、美味しいご飯を食べさせてもらったり、普段暮らしていた家よりも広いので走り回ることが出来たりと、夢のような時間を過ごしたものです。

肝心のお墓参りはというと、普段は扱うことのないロウソク、線香や松の木に火をつけたり、お墓に水をかけたりといったレアイベントをそこそこに楽しむとともに、墓前で手を合わせたときには、祖先に今後の抱負を誓うなど、子供ながらに祈りをささげたものです。

祖父母の家には仏壇もあり、墓参りの後にはそちらにも線香を立てることが定番でした。

就職してからも、お盆には必ず帰省して墓参りし、このルーティンを疑うことなくこなしていました。

ところが、結婚してからはちょっと心境が変わってきました。

嫁さんの実家では墓参りに対する感覚が僕と異なっており、僕に加え結婚して家を出た嫁さんも外部の人間という扱いのようで、嫁さんの実家の墓参りをすすめられることがなかったのです。

当然のように嫁さんの実家の墓参りに行こうと思っていたのが拍子抜けしてしまいました。

結婚して10年といかないまでもそこそこ時が経ちましたが、僕はこれまで僕が希望したたった一度しか嫁さんの実家の墓参りをしたことがありません。

そこで感じたことは、墓参りって必須じゃないんだ!という新たな気付きでした。

改めて墓参りが必須かどうかを考えると、必須ではありません。

墓に参らなくてもご飯食べて寝て、たまにゲームしてストレス発散していれば僕は死にませんので。

真の目的は、家族と顔を合わせること、お互いの様子を確認しあうことであり、そのついでに墓参りにも行っているだけで、墓参りに行かなければならないという意識は、単なるこじ付けだと理解できます。

そう考えると、別にわざわざ激混みのお盆に帰省して墓参りなんかしなくても好きなときに家族に会いに行けばいいし、混んでいないときの帰省時も時間がもったいないのでなんなら墓参りもやめて、最大限家族と過ごせばいいです。

祖先に対する敬意が足りない、こんな子孫を見たらご先祖様が泣くぞ、と思われるかもしれません。

でも、僕は毎日のように祖父母や父ちゃん、母ちゃんのことを思い返しており、感謝の気持ちを深めたり、彼らの無事と健康を祈ったりしています。

たまに墓参りに行って、思い返したように祈るふりをするのとは訳が違うため、わざわざ墓参りに行って祈る必要はないと考えるようになりました。

そんな時間があったら、生きている人との交流を深めたほうがよいです。

お墓自体の意味

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お墓があるからお墓参りをしているだけだとすると、お墓がなければお墓参りそのものもなくなるかもしれません。

一般的にお墓は、家族の中の誰かが墓守となって管理するか、寺の檀家となって寺に管理してもらっているでしょう。

墓のそばに住み続けて先祖代々管理するならそれでいいかもしれませんが、実家を離れたり異国に行ったりすると、それも不可能になります。

熱心な人は墓を自分の家のそばまで移動したりするようですが、僕にはそんな気は全くありません。

誰も管理する人がいなくなって、そのうち無縁仏とか墓じまいとかで墓を撤去することになるよりは、最初から墓を建てなければいいと思っています。

親や自分自身についても同様に考えています。

ただしお墓参りという文化自体は素晴らしいと思うので、自分の家の墓がなくても、どこか墓の代わりに祈りの対象を掲げ、管理者に入場料を支払って墓参りに代える、というのはありだと思います。

まとめ

墓参りや墓の必要性を考えると、必須ではないとも考えられます。

誰かが覚えていてくれるからこそ墓が存在するし、墓参りも成立しますが、誰からも忘れ去られてしまったら墓の意味はなくなるでしょう。

大事なのは生きている人間同士でコミュニケーションを取り、お互いに存在を認識しあうことであり、墓参りそのものではないと考えます。

そして可能な限り、祖先に対する感謝の気持ちを忘れないことです。

秋山雅史氏で有名な「千の風になって」の歌詞では、

私のお墓の前で泣かないでください

そこに私はいません

眠ってなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を吹きわたっています

と歌うなど、死者が墓なんかに納まっていない様子が表現されています。

手塚治虫の漫画「火の鳥 未来編」では、不老不死となった山之辺マサトが30億年の途方もない期間を生きて、生命の誕生、進化の過程を見守る様子が描かれています。

物質としての人間の形が消えうせても、なお「存在している」という表現はなかなか興味深いものです。

最終的には全ての生命は宇宙生命(コスモゾーン)となって、一つの生命集合体に集約される、そしてそれ自体が実は火の鳥であるという結びは、鳥肌物でした。

こう考えると、墓とかどうでもよくなります。

死んでみないとどうなるか分かりませんが、僕には墓は不要です。

墓に祈りをささげられても、祈ったほうは満足するでしょうが、それを受け取る相手がいないかもしれないでの、祈りの不在票が積み重なるだけです。

葬式代はどれだけ見栄を張りたいかによりますが、最低限でいいです。

よって生命保険の金額に葬式代、墓代を見込む必要はないと考えています。

代わりとして、僕が死んで急にケンカ相手がいなくなっても嫁さんが悲しまないように、例えば燃やして残った骨を炭素として扱いダイヤモンドに加工してもらって、たまに眺めて思い出してもらうのがいいかなあ。

遺骨をダイヤモンドジュエリーにするサービス、完成品が「美しすぎる」と話題に

これなら邪魔にならないし。

邪魔になったら燃やせばいいし。

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