Hello, world!
シデとセルリアンです。
このブログは共働きの子なし夫婦のシデ(夫)とセルリアン(妻)が共同で運営しております。
いまやブログは、お互いの情報共有、意思疎通の場としての役目だけでなく、共通の娯楽にもなっており、日々、文句を言い合いながら楽しくやっています。
何でもありの雑記ブログですが、よく取り上げる内容としては、
・お金に対する考え方(投資思想、保険、ふるさと納税などを活用した節約)
などがあります。
記事一覧から気になったタイトルを選んで読んでみてください。
メニューバーを開くことでも記事一覧のページにアクセス可能です。
我々の簡単なプロフィールを以下に示します。
あ、そうだ。
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セルリアンのプロフィール

30代
女子
シデの妻
会社員
略歴
実家は裕福ではなく、お金がないなと思うこともあった子供時代を過ごしました。
【小学校時代】
どんな様子だったか、通信簿の先生からのコメントと親からのコメントを一部紹介します。
◎先生
・とても作業が丁寧
・進んで手を挙げて自分の考えを発表できる
・学習意欲がある
・身体を動かすことが少し苦手
・自分の考えを話すことに夢中で、他の人の話を聞き逃すことがある
◎親
・家での机や自分の身の回りの整理整頓が言われないとできない
・勉強や宿題を言われてからやることが多い
・もっと積極的に運動して欲しい
・自分の気持ちがすぐ表情に出てしまうので我慢できるようになって欲しい
・自分の意見をしっかりと伝えることができるようになって欲しい
・まだ甘いところがあるので厳しく指導して欲しい
小学校では大人しく勉強を頑張っていたような気がします。
しかし、通信簿に記載してあった親からのコメントは非常に厳しいものばかりでした。
小学校と家では別人だったのでしょう。
あと、テストの点数に関しての親の対応は、95点を取っても「何故あと5点が取れないんだ!」というタイプでした。
【中学校時代】
どんな様子だったか、通信簿の先生からのコメントと親からのコメントを一部紹介します。
◎先生
・授業中の私語もなく、家庭学習を毎日やっている
・穏やかで落ち着いている
・学習面ではこつこつ努力
◎親
・新しい学習内容についてもっと積極的に取り組んで理解を早め、計画的に勉強して欲しい
・部活は毎日行って頑張っている。学習面でも毎日やれるように頑張って欲しい
先生に反論することもなく、大人しく過ごしていました。
親としては毎日計画的に勉強をして欲しかったようですが、部活を毎日やってクタクタな状態で宿題以外の勉強は私にとって難しかったです。
【高校以降】
「うちは私立に行くお金はない」とずっと親に言われていました。
中学3年生の時に内申点が上がるように勉強し、得意な分野ではありませんでしたが、おもしろそうだと思った学校へ進学しました。
いきなり授業が難しくなり、低空飛行の成績、元々なかった向上心が更に失われたと思います。
社会人となってから1人暮らしを開始しました。
学生時代に読んでいた雑誌の影響で「年間100万円を貯めないといけない」と考え、社内預金で強制的に貯金、ボーナスはほぼ使わず低所得ながらも年間100万円を達成しました。
それを何年か続け、そこそこ長く付き合っていたシデと結婚。
お互い貯金をするタイプだったので、結婚後急速にお金が貯まって驚きました。
その後、シデからの提案で積立投資をすることになり、コツコツと資産形成をしています。
作者セルリアン自身の選ぶ厳選3記事
シデのプロフィール

30代
男子
セルリアンの夫
会社員
田舎出身の人見知りが激しい大人しい男の子です。
真面目です。
略歴
成人するまでほとんどお小遣いがありませんでした。
得られる僅かなお金(主にお年玉やバイト)も親に気がつけば盗られる(貸してと言われて返ってこない)ことがあったせいか、お金を大事にする習慣が小さい頃から身につきました。
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子供の頃に自ら使ったお金のほとんどは、中古ゲームか中古漫画購入に当てていました。
兄弟とお年玉を合わせて、スーパーファミコン本体を新品で購入したのは良い思い出です。
駄菓子屋でお菓子を買うとか、漫画を新刊で買うということは決してなく、貯めたお金で年に1本か2本ゲームを買い、それをずっと遊び倒すとか、欲しい漫画は100円に値下がりするまで待つというスタイルでした。
社会人となってお金を稼ぐようになり、自由になる金が飛躍的に増えた後は、子供の頃にずっと欲しくても買えなかったゲームを買い漁りました。
物として所有することで、あの頃の満たされなかった気持ちを何とか慰めようとしたのです。
しかし、それは叶いませんでした。
今ではなく、あの頃に手元になければ何の意味もないこと、そして、もうあの頃には戻れないことに気付いたのです。
それでもゲームを買う事は辞められません。
いまやゲームをプレイすることが目的ではなく、いかにゲームを安く買うかというその過程を楽しむためにゲームを買っています。
この行為自体がゲームの1つとも言えるでしょう。
具体的には、
・各通販サイトの価格を比較
・まとめ買いで送料無料を狙えるか
・amazonの相場と大きくかけ離れていないか(MONORATE、旧amashow参照)
・フリマアプリの相場はどうか
・amatenでアマゾンギフトカードを購入し割引を狙うのと、通販サイトでクレカ払いするのとどちらが得か
・amazonの商品コンディション表示である「良い」や「可」を単純に信じずに、記述をよく読む。説明書、欠品の有無を確認
・海外amazonで投げ売りされていないか
・価格を記録しておき、過去の値段と比較。高騰するのは正月やお盆時期であるため、そこは避ける、など
ゲームをいくら買えども買えども気持ちはむなしいままで、買っても遊ばないゲーム、いわゆる積みゲーの山を築いています。
部屋の占有面積は徐々に拡大し、日々、嫁さんに疎まれていますが挫けません。
さて、これだけではおじさんになってもただゲームが欲しい欲しいと言っている変態としか認識されませんので、客観的な僕の評価となりうる学校の通知表を振り返ることで、ただの変態ではないことを示したいと思います。
小学一年生

作業が丁寧すぎるとあります。
記憶では理科の授業で鈴虫のスケッチをした際に、羽の模様を一本一本正確に模写したことを指していると思われます。
クーピーで縁取りしながら色塗りしたのを覚えています。
小学二年生

運動会の学年団体演技では、一生懸命練習して完璧に振り付けを覚えて本番に臨みましたが、当日は最高に具合が悪くて腹痛と吐き気を抱えヘロヘロとしか踊ることが出来ず、本来の力、キレを発揮できませんでした。
この年の読書冊数は110冊であり、おそらく人生で最も多くの本を読んだ1年でした。
給食の時間に全校放送で年間読書冊数の発表があると、2位以下に大差を着けての全校1位であることが分かり、大変嬉しかったです。
ゴムまりのように動き回るという表現が、今見ると斬新です。
小学三年生

あまり記憶がありません。
このときにゲームボーイを買ってもらい、ゲームばかりやっていた気がします。
音楽会では木琴を担当し、練習中にばちが折れて短いばちで本番に臨んだ記憶があります。
小学四年生

あまり記憶がありません。
小学五年生

担任がクソであり暗黒期でした。
良いことも悪いことも生徒が相互密告するシステムが敷かれ、加点評価で見える化しようとしていたようですが、今思うと担任の職務怠慢にしか感じられません。
僕はとにかくおとなしくしていました。
通知表の記載も覚えがないことが多く、不信感しかありませんでした。
小学六年生


鮮やかに思い出すのは、担任に対して年賀状を出したことです。
2学期の家庭科がA/B/C評価のうちBで、惜しくもALL Aを逃したので、
3学期は家庭科も頑張ります、
と年賀状に決意を示したのを覚えています。
ALL A達成のためには多少の出費は仕方ありません。
中学時代
通知表は見つかりませんでした。
見つけたら追加します。
朝練もがっつりやる厳しい部活に入部し、一生懸命練習しました。
チームでは右に出る者がいないほどのスーパーベンチウォーマーとして活躍した他、生徒会長を務めました。
生徒会の選挙では、タスキをプリントのつぎはぎで自作するなどの選挙活動も展開し、目立つ僕に目を付けた先輩から呼び出され、いい気になるなよ、と金銭(3000円)を要求されたのもいい思い出です。
高校、大学時代
とにかく金がなく、奨学金やバイトで稼いだ金は親の生活費に消えていました。
部活や勉強に真面目に励むとともに、その当時、全盛を極めていた平成屈指のアイドル「あやや(松浦亜弥)」好きをこじらせたのか、大学の文化祭では女装コンテストを自ら企画しました。
当日は司会進行の他、ハロープロジェクトのシャッフルユニットの1つであった「三人祭」の振り付け、歌詞をマスターし出場のうえ、優勝を果たしました。
興奮冷めやらぬ中、次年度も調子にのって企画、出場(この年はよりダンサブルな曲として「The 美学」を選曲)、優勝を勝ち取り、Back-to-Back(二連覇)の偉業を達成しました。
自分でやってみて痛感したことは、口パクではなく歌って踊るあややは、まさにアスリートだということでした。
ゴリゴリに部活をやっている成年男子でも、まねることは困難だったのです。
このような輝かしい業績に加え、先生の言うことをよく聞くいい子を演じ続けたおかげか評価もすこぶる良く、田舎の大学を首席で卒業できました。
就職
ずっと田舎育ちでしたが都会に就職しました。
電車の乗り継ぎや大きなビル群にドキドキしながら会社の面接を受けに行ったのを覚えています。
ずっと金のない環境で暮らしてきて金がないことに不安を覚えていたため、給料はなるべく使わないで貯金しました。
どんどん増える貯金額にワクワクした一方で、親の借金を肩代わりし一括返済して一気に貯金がなくなるなどアホなこともありましたが、めげずに貯金を続けセルリアンと結婚。
更に貯金を継続するも、貯金だけでは限界があることに気付いて、親の口からはきいたこともなかった「投資」の道へ踏み込み、今に至ります。